もんじゃ焼

kiki_kuro2010-01-26

浅草のもんじゃ屋でビックリ →→

大好きな下町・浅草で食べ物屋を探していたところ、一軒のこぢんまりとしたもんじゃ焼屋さんに行きついた。のれんをくぐり驚いたのはその狭さ! 注文しそびれるなんてことは絶対起こらない、アットホームなお店だった。ここのお店は、家族連れの常連さんが多いようだ。そんな中、お目当てのもんじゃが運ばれてきてビックリ! 具がほとんどナイ!! もんじゃ通りでも有名な月島のもんじゃは具たくさん。逆にタネが見えないほど具が入っている。そこと比べると、どうだろう。タネがたくさんで逆に具が見えない。もんじゃにも色々と種類があるみたい。

駄菓子屋もんじゃってご存知?? →→

お店の奥さんが昔のもんじゃについて話してくださった。昭和初期の貧乏な中、子どもたちが食べられた“おやつ”が、この「もんじゃ焼」だった。当時は、食べるものも少なく、お金もなかった。もんじゃは、食事としてではなく、小腹におやつ感覚で食されていたのだ。これが、駄菓子屋もんじゃと呼ばれるもの。100円のおこずかいで子供たちが駄菓子屋さんに行ってもんじゃを食べる、そんな風景が当時はあちらこちらで見られたそうだ。
私が入ったことのある浅草のもんじゃ屋さんは2件しかない。その2件とも、注文後、この駄菓子屋もんじゃが出てきた。浅草ではまだ地元のチビッ子が、この駄菓子屋もんじゃを食べに来るそうだ。時代が移り変わっても、懐かしい光景が広がる浅草の町にまた惚れ直した。

もんじゃと言えば月島が浮かぶけど!? →→

もんじゃ食べに行こう! そう友達と話すとき、まっさきに浮かぶのは月島。有名なもんじゃストリートで美味しいもんじゃを食べよう、と話がおさまる
。ではもんじゃ発祥の地は月島か? よく考えれば月島は埋立地明治25年(1892)に月島一号地(現月島)の埋立が完成した。歴史は浅い。有力な説としては浅草が発祥の地と言われることが多いそうだ。私の訪れた浅草のお店でも「もんじゃは浅草だよ」と聞いた。

駄菓子屋もんじゃにはアレがない! →→

私たちの感覚からすると、もんじゃの作り方といえば、まず具を鉄板で火を通しながら、ヘラを使って刻む。そのたっぷりの具で土手を作り、その中央にタネを流し、作っていく。駄菓子屋もんじゃは、具がほとんどないので土手なんてものは作れない。そう、もんじゃに欠かせないと思っていた土手がないのだ。でも、土手なしでどう作るのか。奥さんに作ってもらった。と、これまたビックリ! 熱々の鉄板に思いっきりぶちまけるのだ。それをパリパリの御煎餅になるまで待つもよし、好きなころあいで食べる。御煎餅派の私は、パリパリになるまで待つ。そして気になるお味はウマい。昭和を思い出す懐かし味。

浅草 vs 月島 →→

駄菓子屋もんじゃは、おやつ感覚なので腹もちはしないが、お好み焼きや焼きそば、その他の鉄板焼きをプラスして楽しめる。月島もんじゃは、もんじゃだけでもかなりお腹が膨らむ。また値段は断然、浅草が安い。ボリューム感の問題もあるがモノによって月島の三分の一程度のモノもある。どちらが人気があるのか、それは人の好みで分かれるだろう。今、私が食べたいのは…浅草の駄菓子屋もんじゃだ。またあのアットホームな店で食べたい。


最後に、お店で焼きそばを頼んだところ、その日は切らしていたらしい。だが、私たちが残念そうにする姿をみて、旦那さんが「ちょっとそこまで買ってくる。待ってな」と買い出しに行った。あっという間に友達とこのお店のファンに。奥さんも旦那さんも暖かい浅草のもんじゃ屋、また行きたいな。